アレクサンドラのスーパーノヴァ

アレクサンドラ・スーパーノヴァによるアレクサンドラ・スーパーノヴァのための吐き出しブログ

ゴーイングメリー号のことを未だに許していない話

日本を代表する漫画のひとつである尾田栄一郎作「ワンピース」。

主人公ルフィの海賊王への冒険は、連載当初から少年少女たちの心を引きつけ、さらに今では世界中の少年少女のみならず、元少年少女までもを現在進行形で感動させている超大作です。

 

かく言う私もワンピースの熱心な読者であり、単行本が出れば購入し、新たな展開に胸を躍らせています。

 

そんな偉大な作品ワンピースについて、私アレクサンドラは2回程、「これはない」と思ったことがありました。

 

まず直近の方、「リンリン人間を食べた疑惑」です。

ワンピースの時系列の中でおそらく直近のお話、ビッグマム編の回想シーン。なんと幼少期のビッグマムことリンリンが、空腹で暴走してしまい、その場にいたお友達を全員食べてしまった(?)という驚愕の過去が明らかになったのです。

いくらなんでも人間を食べるのはない、おぞまし過ぎる、と思いました。

 

これはやっちまったな…

 

と同時に、こんなふうにワンピースのストーリーに対して憤りを感じたのは、「ゴーイングメリー号事件」以来だな、と思い出しました。

 

というわけで今日はいまだ怒りの炎がくすぶる「ゴーイングメリー号事件」についてお話します。

 

 

ゴーイングメリー号事件

主人公ルフィが率いる麦わらの一味を乗せ共に冒険してきた船、ゴーイングメリー号

これは、物語の最初の方で3人目の仲間であるウソップが一味として加入するイベントで入手した船で、それ以降何度も故障を繰り返しながら乗ってきた船でした。

しかし、物語が進むにつれ、船体において深刻なダメージを受け、これ以上の航海は不可能であるとのことで、ルフィはメリー号を手放し新しい船を確保する決断を下します。

しかし、人一倍思い入れの深いウソップだけは、そんなルフィと対立し、一味を抜けてしまいます。

 

その後、一味のひとりであるロビンが海軍に捕まり処刑されてしまうというイベントに話は進んでいくのですが、(ここの部分は関係ないので割愛)最終的にすべての敵を倒したルフィが、持てる力をすべて使い切った結果、起き上がることすらできず島から脱出できなくなるという絶体絶命のピンチが訪れるのです。

 

どのようにしてルフィはこのピンチを切り抜けるのか!?

どうか助かってほしい…!

読んでいた私も手に汗を握っていました。

 

ここで、何故この状況が絶体絶命のピンチであるかを述べておきます。

まず、舞台はエニエスロビーという島で、これは世界政府の司法機関が置かれている島です。その場所は、とにかく行きにくい場所で、ウォーターセブンという一般人が住む町がある島からの列車のみ安全にたどり着くことが出来る、天候も常に荒れており航路を使うことは絶対不可能、という記載がたくさんあるんですね。実際にルフィを始めとするメンバーたちは、仲良くなったおばあさんの手伝いもあり、異様に速いロケットみたいな列車に乗って移動しています。

こことても重要なので覚えておいてください。

 

で、絶体絶命のピンチに陥ったルフィ。

を助けたのは、これ以上の航海は不可能とプロの船大工に太鼓判を押されたゴーイングメリー号だったのです。

 

なんと、

①誰も乗船していない船が自らの意思で

②これ以上の航海は不可能と言われたのにも関わらず

③船でたどり着くことの出来ない場所に

④ありえない速度で

⑤開閉が厳しく管理されている門をくぐって

助けに来たのです。

 

奇跡で満腹ですよ。

 

挙句の果てには「助けに来たよ」としゃべる始末。

正直、これは完全に越えてはいけない一線を越えてしまったな、と思いました。

 

いくらファンタジー、虚構の世界の物語としても、やっていいことと悪いことがあると思います。

「そもそも悪魔の実があり得ないじゃん」という意見もあると思いますが、この、「悪魔の実」という設定は物語の根幹であり、ここの根底から懐疑的になっているわけではありません。

そもそも私はファンタジーが大好きですし、こういった少年漫画の突拍子もない設定に関し、抵抗は一切ありません。

 

だからこそ、守ってもらいたい一線があるのです。

「ファンタジーを楽しむ際にリアルの話を持ち込むこと」がすなわち無粋である、とする意見には大いに反論いたします。

なぜなら、多くのファンタジー好きがファンタジーを楽しむ際、ファンタジーの世界の中のリアルを設定して楽しんでいると考えられるからです。

またそのファンタジー世界の中でのリアル設定が、よりファンタジーの世界を面白く魅力的に彩っているのです。

 

例えばですが、世界的に有名な魔法使い「ハリー・ポッター」で、ハリーがピンチに陥ったとき、突然浮遊能力を発揮し難を逃れた場合、多くのファンは激怒すると思います。

ハリー・ポッター」の世界では、魔法使いが浮遊する際には箒を用いるというルールがありますから、そんな中でいきなりハリーが突然なんの道具も使わず浮遊した場合、「それはない」「あまりにもご都合主義すぎる」といった意見が溢れると思います。

さらにハリーが他の魔法使いとは違い道具なしで浮遊できる理由が「なぜなら彼はハリー・ポッターだから」といった、急遽つけられた設定と疑ってしまいそうな非常に浅い理由だった場合、ヤフーニュースを連日にぎわせるほどの世界的な炎上事件になっていることでしょう。

 

ゴーイングメリー号はこれと同じことなのです。

 

ファンタジーにはファンタジーなりの、越えてはいけない一線が確実にあるのです。

「ファンタジーに何を求めているの」とこれでも言えますでしょうか?

 

このメリー号事件は、ストーリーの大オチとして使われていなければ、もしかしたらここまでの怒りを覚えることはなかったかもしれません。

しかし、大オチとは、これまでの壮大なストーリーすべてを包括し回収するという重大な責務を担っています。

感覚的に申しますと、今までのフリ(壮絶な裏設定と戦闘シーン)をすべてまとめるにしては、オチの説得力が弱すぎるのです。

 

それを奇跡でゴリ押しするなんて、「邪〇台〇の風」の奇跡祭と同じです。

こちとら奇跡で納得出来るほど若くねぇんだよ。 

 

奇跡=辻褄を合わせる便利道具

ではないということを、強く言いたいです。

 

ワンピースは緻密に設定が組まれており、大人が読んでも十分に面白い、隙がない漫画であると思います。

だからこそ、これほどまでに世界中で愛されているのでしょう。

私もワンピースが本当に好きですし、伏線の回収や裏設定など、驚かされることがたくさんで、毎回心の底から楽しんでいるのです。

 

だからこそ、このゴーイングメリー号の奇跡盛り合わせ事件にはがっかりさせられましたし、

やったな…

と思いました。

 

どうか納得のいく説明をしてほしいと思っています。

納得のいく解説があれば、それを受け入れる準備はあります。

 

正直私は、このメリー号「助けに来たよ」事件で号泣するタイプの人間とは、根本の部分でわかりあえることはない、と思いました。

ここで泣いたか冷めたかで、その人物がどちら側の人間かを判断できると考えます。

 

という風なことを友達に熱く語った後、

「まぁ自分は泣いたけどね」

と言われてしまって、

「ごめんなさい」

と言いました。

 

(後の祭り)

 

 

おわり。