ファン歴の長さでマウントを取る人への悪口
すごいファンとはどういうファンでしょう?
長年応援しているファン?
より多く公式にお金を落としたファン?
私は、初心を忘れないファンのことだと思います。
そして新たな仲間の自尊心を尊重する心。
ほかにはジャンルにおける暗部を嬉々として初心者に吹聴しない慎重さ。
あとは他人の、そのコンテンツに対する課金度を自分の物差しで測ったりしない賢明さ。
…とまぁ言い出したらキリがないのですが、
今日の悪口のターゲットはファン歴の長さで他のファンにマウントをとろうとする人です。
私、アレクサンドラ・スーパーノヴァはあるコンテンツのファンになって数年経っています。
初めは周囲にそのコンテンツに明るい知人がおりませんでしたので、主にインターネットから情報を収集する日々で、ファンの方々が書いた感想や考察等を時間を忘れて漁ったのもでした。
その情報が、良い話であっても悪い話であっても、すべての内容が新鮮で楽しくて、フレンチトーストを作るために牛乳に浸した食パンの如く、いろんな情報を吸収していました。
とにかくそのコンテンツに詳しい人と仲良くなりたい、そして自分の知らないことをたくさん教えてもらいたい。
当時の私は、そうすることでそのコンテンツをより楽しめると思っていました。
そんな中で、幸運なことに様々なファンに出会いました。
彼らはいろんなことを教えてくれて、私を沼の深い部分へと誘ってくれました。
それはとても楽しくて、知り合いがいなくて情報に飢えていた時に比べれば、情報の得やすさとその豊富さは段違いのものでした。
しかし、段々と自分の中での気持ちが変わってきたのです。
そのコンテンツのことを知れば知るほど、中には暗部として隠しておくべき、現代の社会においては好ましくないと判断される状況、のような情報も耳にするようになりました。
何も知らなかったときはキラキラ輝いて全てが清廉潔白に見えた世界も、いろいろなことを教えられた今では、見え方が違ってきていました。
初心者の私に、私が知らない情報を教えてくれる人が増えて、そして中には知りたくない情報まで教えてくれる人がいて、私は段々とそのコンテンツのファンに対して以前よりも友好的な気持ちを持てなくなってしまいました。
〇〇が好きな人に悪い人はいない
という言葉がありますね。
私も最初は心からそう思っていました。
みんな色々教えてくれて優しい、みんな温かい、良い人。
しかしそれは哀しいかな、まごうことなき虚構。
今、初心者だった当時の自分にアドバイスするなら、
基本距離とったほうがいいよ。
というでしょう。
それは何故か。
ファン歴の長い人の中には、初心者に色々な情報を与えることによって、人間関係において自分が優位に立とうとする人がいるのです。
古参ファンのマウンティング行為ですね。
昔、大学で受けた社会学の授業で、
「人間関係において、片方が常に相手に何かを与えていた場合、与えていた側の人に権力が発生する」
とかいう雰囲気の話を聞いた記憶があります。その記憶は非常にあやふやで、もはや誰の学説だったかすら覚えていませんが、なんとなく、学校の先生(知識を与える側)や、会社の社長(給与を与える側)のことを言ってるんだろうな、と思いました。
古参ファンのマウンティングは、これと同じ構造なのです。
初心者に情報を与えれば彼らは感謝するでしょう、そして古参ファンのことを好意的な目でみるようになります。
あるいはその情報量や、ツテという胡散臭い繋がりを、尊敬の眼差しで見るかもしれません。
さぞかし気持ち良いことでしょう。
しかし、私は気付いてしまいました。
彼らは私の「すごい」という言葉を搾取しているのだと。
もうこれに気づいてしまったら彼らのことは、飲み会で若い女性社員に「すごーい」と言われたいがために、くそつまらない自慢話を延々としてしまうおじさんと同じ人種だと思うことしか出来ません。
あのおじさんの自慢話の相槌は本当に苦行ですよね。
何度天然を装って「その話以前お聞きしましたよ~」と言おうとしたか。
言おうとしただけで意気地なしなので結局言えませんでしたけどね。
あいつらちょっとでも若手女性社員の「おっちょこちょいエピソード」があるとハイエナのように食いついて「だめだよ~」とデキる俺からのアドバイスをかまそうとして来やがりますからね。
ちょっと脱線してしまいましたが、とにかくそのことに気づいて以降、私は心に決めました。
もう二度と「すごい」と言ってやらない、と。
無意識の私に「すごい」と言わせて勝手に気持ち良くなってやがるんだろ。
私が無意識なのを良いことに勝手に優位に立って権力を得やがって。
赦すまじ古参マウンティング妖怪。
ちなみに、古参マウンティング妖怪が最終奥義のように使ってくる手があります。
それは、ギョーカイとの繋がり匂わせです。
たとえば、私が、「〇〇に行きたいけどチケットがない」と何気なく呟くと、彼らは、待ってましたとばかりにこう言ってくるでしょう。
「〇〇の△△に知り合いがいるので、お願いしましょうか?」と。
はい出たマウンティングwwwwwwwwwwww
私繋がりあるんですけど自慢wwwwwwwwwww
以前はほいほい「良いんですかぁ~?」と自らも甘い汁を啜ろうとすり寄っていましたが、得られる目的物に対して支払うべき代償が見合っていない、と自分の中で判断した今は、無視するようにしています。
お金じゃないのです。
心がすり減るのです。
ファンとファン、という、絶対的に対等な関係であるにも関わらず、どちらかが偉い、どちらかがすごい、という関係性に耐えられないのです。
そもそも私は一介のファンにすぎませんから、メリットをもたらしてくれた側に対して、何も返せるものはありません。
彼らに対する羨望の眼差しも尊敬もなくなった今となっては、彼らに返せるものは本当に何もないのです。
「すごい」「本当にありがとうございます」「さすが◆◆さん!」などという偽りの賛辞を、たとえ本心でなくただただ褒めちぎりマシーンとして言えばいいだけの状況でも、絶対言いたくないのです。
何故なら彼らが私のこの言葉で、彼ら自身の優位を再確認し快感に浸るのが絶対に許せないからです。
最終奥義ギョーカイ繋がり匂わせでは、このほかにも、「☆☆さんのご両親とお知り合い」とか、「ブログに◎◎さんのことを書いたら本人から感謝された」等々のバリエーションがあったりします。
間違っても「すごい」と言わないように。
アレクサンドラ・スーパーノヴァとの約束だぞ!
どんなコンテンツにおいても、初心者とは貪欲なものです。
それはまるで思春期の少年少女が、性知識を恥じらいながらもがむしゃらに探究していく姿と重なるほどです。
しかしそんな初心者を、古参マウンティング妖怪は狙っています。
「すごい」を軽々搾取されてはいけません。
アレクサンドラ・スーパーノヴァは、古参マウンティング妖怪が一日でも早く寿命を迎えることを心から願っています。
おわり。